天使ママになりました

流産2回、死産1回を経験しました。人にはうまく伝えられない気持ちをブログに残したい、また、同じような経験をした人たちと少しでも悲しみを分かち合えたら…と思っています。
初めてのブログなので慣れない点も多いかと思いますがよろしくお願いします。

妊活開始

流産後、水子供養へ行った。


今まで水子供養のことなんて考えたこともなかったが、行ってみると位牌がたくさんあってびっくりした。


今度は強い心臓を見つけてまた戻って来てね…そんな願いを込めて供養した。




流産後は妊娠しやすいという話を聞き、期待しながら子作りを再開。


期待とは裏腹に何か月経っても妊娠はしなかった。


自己流のタイミングだけではダメなのかも…と思い近所の産婦人科へ行くことにした。(前回通っていた産婦人科とは別の病院)


基礎体温表と卵胞のチェックをしてもらいタイミング法で様子を見ることになった。


数回のタイミング法でも妊娠することはなく、卵管造影検査をすることになった。


子宮に造影剤を注入して、その広がり方をレントゲンで見ることで子宮の卵管がきちんと通っているか、子宮に奇形や腫瘍などがないかを調べられる検査。


かなり痛いとのウワサ。


ウワサ通りかなり痛かった。


造影剤を入れる時が痛かったんだと思う。


そんなに長い時間ではなかったけど、どれくらいで終わるかわからない痛みが一番恐怖!


検査の結果はその日のうちにすぐわかり、特に異常はないとのこと。


異常がないのは良いことなんだけれども、痛みに耐えたのに何もないって…という気持ちもあった。




その後も毎月通えたわけではないが、タイミング法を行っていたが妊娠することはなく。。。


2回目の妊娠までのこの期間がとても長く、とても辛かった。


唯一救われたのが、流産していることを知っている人が多かったため「子供は?」と聞かれることがなくなった。


前回の妊娠を知らない人に「子供は?」と聞かれても流産のことを伝え、口にはしないものの「妊娠できないわけじゃないの!」と内心強がっていた。


きっと周りから見たら痛々しかったよね。。。

手術後の受診

掻把手術を受けてから2回、術後の診察に行った。


2回目の診察でまた衝撃的なことを言われた。


エコーで子宮の中を確認する先生が「まだ出血が多いですね。もう1回手術しましょう。」


手術の同意書に1回の手術で内容物を取り切れない場合があると書いてあったのは覚えていた。


でもまさかまた手術をするなんて…また辛い思いをするなんて。


手術の日程を決めるときまた週末でお願いをしたら、「週末はやってない。平日しか無理。」と冷たく言われた。


前回は流産宣告を受けた私の気持ちを察して無理やり週末に手術を入れてくれたようなのだが、言い方ってものがあるのでは?と不信感を抱いた。


医療に完璧はない、病院にも都合がある、それは私もわかっているけど。




帰ってから旦那にもう1回手術だって、と伝えたら案の定そんなことってあるの?と不信感満載。


旦那は前回の手術の日、病院の対応や雰囲気をあまりよく思っていなかったようで本当に大丈夫なのかと心配してくれた。


ネットで調べても2回も連続で掻把手術を受けた、という人は見つからず「よくあること」とは到底思えなかった。


でもこのまま出血が続いて炎症を起こすのも怖かったので予定通り手術は受けた。


平日の手術で旦那は休みが取れなかったので1人で病院へ行った。


今回は麻酔が抜けるのが遅かったのか、フラフラしながらタクシーで帰宅した。


こんな辛い経験をする人なんて世の中にどれくらいいるのかな…と不安だけが残る経験だった。

初めての流産宣告

事前に妊娠のことを散々調べていたので、妊娠検査薬で陽性が出てもすぐには病院へ行かなかった。


ちゃんと胎嚢が確認できるまで待とう。


検査薬から1週間待って、生まれて初めて産婦人科へ。


これも散々調べて、近くに住んでいる旦那の実家近くの産婦人科へ。


友達がここで出産していたこともあってここを選んだ。


初めての経膣エコーで無事に胎嚢確認。


本当に嬉しかった。


病院の帰りに早速、実母や仲の良い友人に妊娠報告。


みんなもすごく喜んでくれた。


本当に妊娠したんだ!という嬉しさの反面、これから起こりうるリスクについてが気になって仕方なかった私は「妊娠初期症状」「初期流産」などマイナスなことばかり調べていた。




2回目の健診で心拍も確認できて、念願の母子手帳ももらった。


母子手帳を持って初めての妊婦健診の日。


先週まで元気に動いていた赤ちゃんの心臓が止まっていた。


上手く妊娠が継続していれば9週の時だった。


先生が言うには2週間前の健診のすぐ後に亡くなったのでは、とのこと。


今思えば、妊娠がわかってからあったつわりもこのころにはおさまっていた。


普通に考えればつわりが終わるには早すぎる。


でも初めての妊娠だった私には何の疑問も感じていなかった。


あんなにいろんなことを調べていたのに…


あんなにマイナスなことばかり調べていたから本当に起こっちゃった…と自分を責めた。




エコーを見た先生が「心臓止まってるね」と言って診察室(問診する部屋)へ戻った。


信じられなくてショックだったが、元々人前で泣くことが苦手な私は涙をこらえて同じく診察室へ向かった。


先生から淡々と掻把手術の説明をされ、日取りを決め、事前検査をしてその日は終わった。


待合室で会計を待っている間、こらえていた涙が自然とこぼれてきた。


それでも一生懸命涙をこらえながら、旦那や母にメールし、妊娠のことを知っていた職場の上司にも手術のことを伝えなくては…と思いメールした。


ちょうど年度変わりの時期で飲み会が多かった旦那もメールを見て、飲み会を断って帰って来てくれた。


仕事・飲み会優先の旦那が(私もそうして欲しいと思っている)飲み会を断ってまで帰って来てくれたのは嬉しかったし申し訳ない気持ちにもなった。




週末に手術の予約を入れていたので当日は旦那に付き添ってもらった。


9時に来てくださいと言われていたので、その通りに行くと午前の診察受付をし普通に順番待ちだった。


てっきり9時から処置をして部屋(ベッド)で待機するのかと思っていたので、健診を楽しみ待っている妊婦さんの中で順番待ちをするのは辛かった。


やっと順番が回ってきて、前処置を受け(ラミナリアかな?)病室へ案内された。


病室と言っても日帰りなのでベッドだけが置いてある陣痛室へ。


隣の部屋では出産待ちの妊婦さんが陣痛に苦しんでいるのがわかった。




午前の診察が終わったころに手術室へ呼ばれ、掻把手術の準備が始まった。


人生初めての麻酔や手術で怖かったが麻酔を打たれてあっという間に意識がなくなった。


目が覚めた時にはもうベッドの上で、旦那が頭を撫でていてくれたことを朦朧と覚えている。


それから1週間くらい仕事を休んだが、日中何もしないで家にいる方が辛かった。


何もしていなくても自然と涙が出て、ネットで同じような経験をした人の話を読んでは泣き…


体も辛くなかったので気を紛らわすためにも早めに仕事へ復帰した。


なぜか人前で流産の話をすることは辛くなく、手術のことなども何でも話すことができた。


でも夜、ベッドに入るといろんなことが蘇って涙を流す日々が続いた。


そんな私を見て、旦那は言葉で励ましてくれるわけではなかったが、何も言わずに抱きしめてくれた。


私はそれでよかった。